ワルシャワ音楽院院長によるショパンの卒業成績表。複製。ワルシャワ博物館所蔵。
ショパンが16歳の時、1826年9月にワルシャワ音楽院に入学しました。
ショパンは週に3回2時間ずつJ・エルスネル院長から対位法と作曲のレッスンを受けました。
ショパンは音楽院1年生で、《マズルカ風ロンド》ヘ長調(op.5)、《三つのエコセーズ》(op.72-3)、《ポロネーズ》変ロ短調、《マズルカ》ト長調、《マズルカ》変ロ長調などを次々に作曲しています。
2年生の時に作ったオーケストラとピアノによる作品《モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」のアリア〈ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ〉による変奏曲》変ロ長調はたいへんな評判になりました。
3年生でも引き続きオーケストラとピアノによる作品を2曲作曲します。《ポーランド民謡による大幻想曲》イ長調と《ロンド・ア・ラ・クラコヴィアク》です。
賢明なエルスネルはショパンの才能はピアノ音楽においてこそ最も十全に発揮されることを見抜いていたので、作曲科の他の弟子とは違ってショパンには交響曲やオラトリオ、あるいはミサ曲などを無理に書かせることはしませんでした。
ショパンの最初のピアノ教師ジヴニーにしても、音楽院のエルスネルにしても、ショパンの才能を理想的な方法で引き出せたことは、ほんとうに奇跡的ですね。
1829年7月20日に、ショパンはワルシャワ音楽院を主席で卒業しました。
卒業に際してJ・エルスネル院長はショパンを「特殊な才能の持ち主、音楽の天才」と評価しました。
この文書のオリジナルは1939年まで『音楽院に関する政府の宗教・教育委員会の公文書、第1巻、No.50』に収録されていましたが、第2次世界大戦中に紛失しました。