チューリハウ(スレフフ)の伝説

チューリハウ(スレフフ)の伝説

1828年の秋、ショパンは父ミコワイの友人であり、 ショパン家のサロンの常連でもあったワルシャワ大学の動物学の教授に連れられて、ベルリン旅 行にでかけました。

その帰り道に、馬車が馬を換えるために立ち寄ったチューリハウ(他 にチューリヒハウ、チューリヒャウ、ツィリホフなどの呼称があります)という村(ポーランド 西部、ドイツ国境に程近い村で、現在のルブシュ県スレフフ町)で伝説的な出来事があったと伝 えられています。

このことについて最初に報告したのは、モーリス・カラソウスキで、18 77年に出版したショパンの伝記の中で記しています。以後どのショパンの伝記でも繰り返し述べ られていますが、この逸話についてショパンの 同世代の知人たちは誰一人として何も触れておらず、実話である証拠は見つかっていません。

この話とは次のようなものです。

チューリハウの村で、旅の馬車が馬を換える ために止まりました。新しい馬はまだ来ていなかったので、ショパンは他の旅人たちと一緒に馬 車を降り、村の見物に繰り出しました。

しかし、見るべきものはほとんどなく、駅へ戻っ たものの、馬が到着するまでまだしばらく時間がかかると言われ、時間をつぶすために、ある宿 屋に立ち寄りました。(この宿屋は1945年以後にこわされてしまったそうです)

すると、そ こにかなり良い状態のピアノが1台あるのを見つけ、これ幸いにと、ショパンはポーランドの歌 や踊りの主題をもとに即興をはじめました。

これを聴きつけ、しだいに旅人たちが周りをとりかこみ、ショパンはさらに弾き続け、その演奏 に誰もがすっかり心を奪われてしまいました。

突然、御者が馬の用意ができたと告げに来 ましたが、動こうとする者は一人もいません。ショパンは一刻も早く発ちたかったのですが、群 集から口々にもっと弾いて欲しいと頼まれ、やめさせてくれません。

さらに、駅長が気を 利かせ、1対の馬を増結して遅れを取り戻すから大丈夫だと保証までしてくれたので、ショパン は意を決し、火が燃えつくようなマズルカを演奏しました。

すると、それまで黙ってパイ プをふかしていた一人の老人が進み出てきて、自分はその土地のオルガン奏者だと告げ、ショパ ンにこう言いました。「私は音楽が少しはわかる 。本当のところ、もしモーツァルトが君の演奏を聴いたなら、『ブラヴォー!』と叫ぶだろうよ」 。

結局、ショパンはへとへとになるまで弾きつづけなければなりませんでしたが、宿屋の おかみさんはケーキとワインを差し出し飲み放題にしてくれ、また、地元の人からもたくさんの 土産品をいただき、馬車の荷台には入りきれないほどの食料品と菓子類が積み込まれました。

音楽好きの駅長はすっかり感動し、みずからショパンを丁重に馬車まで案内し、こう別れを 告げたといいます。「これでもう私は、いつでも安らかに死ねます。ポーランドのヴィルトゥオー ソ、ショパンの演奏を聴かせてもらったのですから」。

ショパンは御者に抱えられて馬車 に戻りましたが、宿の人々は大声をあげ、 手を振っていつまでも見送ってくれたというお話です。

チューリハウの街並み(Schulinによる彫刻)
スレフフ町の公式ホームページ(http://www.sulechow.pl/index.php?id=72&lng=pl&id=0)より

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