ショパン行きつけの楽譜店

ブジェジナ(ブジェジーナ/ブルゼジイナ) Brzezina は、ワルシャワのミョドーヴァ街にあるワルシャワ最大の音楽出版社兼書店で、ショパンがワルシャワに住んでいた頃よく通っていたお店です。1822年に創業し、32年にはセネヴァルド社(Sennewald)に引き継がれました。

ちなみに、この店のちょうど真向かいにショパンがよく行った「ジウルカ穴ぐら」というカフェがありました。

【ショパンとの関連】

*ショパンが作曲した曲の中で、1825年に『ロンド ハ短調op.1 』、1828年に『ロンド・ア・ラ・マズル ヘ長調op.5 』がブジェジナから出版されました。

《ロンド ハ短調》op.1 初版、ワルシャワ、A・ブジェジナ(1825年)

ブジェジナは、1825年6月2日の新聞に、この作品に関する広告を出しています。ショパンにとって記念すべき作品ですが、実のところ出版された楽譜には作品番号もなく、出版社の出版番号もなく印刷されてしまいました。作品番号が付いたのは、1835年のベルリンのシュレジンガー版からです。

1824810日に、ショパンが両親に宛てた手紙の中で、父ミコワイに、リース作曲の《ムーアのアリアによる4手のピアノのための変奏曲》の楽譜をブジェジナで買って、シャファルニャ(夏季休暇中にショパンが滞在していた親友の田舎)に持ってきてもらいたいと書いています。

*ショパンは高校時代によくこの店に通って、大量に輸入される新しいピアノ音楽の楽譜を手にとり、何時間も試し弾きをしていました。その頃、ショパンが一番惹かれていたのは、フンメル、フィールド、モシュレス、カルクブレンナーなどの曲だったそうです。

*ショパンはウィーン旅行で、刺激を受け、ワルシャワに戻ってくると、ブジェジナの店で時間を過ごすことが多くなりました。このお店には、ウィーンやライプツィヒの最新の楽譜カタログや実際の楽譜が置いてあり、サロンのようでもあって、新しい楽譜を手にしては、そこに置いてあるピアノで演奏することができたからです。

*ショパンのワルシャワにおける正式なデビュー演奏会およびその1週間後のコンサートの後、ショパンの人気ぶりをみて、ブジェジナの主人のゼーネワルトはショパンの肖像を石版画にして売ろうと企てましたが、ショパンは断りました。

このことについてショパンは1830年3月27日付で大親友のティトゥスに宛てた手紙の中で、「そんなことを許すわけにはゆかなかった。これはあまりにやり過ぎだろう。僕はレレヴェル[十一月蜂起指導者の一人となる歴史学者]の肖像画みたいに自分をバターを包むのに使ってもらいたくないからね」と述べています。レレヴェルの肖像画が、しばしばバターの包装紙代わりになっていたのを皮肉ってこう書いています。

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