ショパンの最初のピアノ教師とては、ヴォイチェフ・ジヴニーが有名ですが、上達の速いショパンは、1822年(ショパン12歳の頃)にはジヴニーよりも上手に弾けるようになり、ジヴニーは何も教えることがなくなり、彼のレッスンは終了しました。そして、ジヴニーにかわり、次にショパンにピアノを教えたのは、当時一流のコンサート・ピアニストであったヴュルフェルです。
今日は、このヴュルフェルにスポットを当てて、ショパンとの関連を見ていきましょう。
ヴュルフェル、ヴィルヘルム・ヴァツワフ Würfel,Wilhelm Waclaw 1790-1832
その後、ヴュルフェルはウィーンのケルントナートール歌劇場の指揮者に招かれ、1826年からウィーンに移り住み、1832年にウィーンで没しました。
*1829年7月、ショパンの1回目のウィーン訪問の際に、当時ウィーンの歌劇場の指揮者をしていたヴュルフェルはあたたかくショパン迎え、町を案内し、またショパンを説き伏せ、ウィーンでのデビュー演奏会をやらせた中心人物となりました。ヴュルフェルは、広告の張り紙からプログラム作り、打ち合わせ、リハーサルに至るまで、諸々の演奏会の準備をたった4日間でやりとげてくれました。
*1829年8月8日付家族宛のショパンの手紙の中で「ヴュルフェルさんは今日、ガレンベルク伯爵、指揮者のザイフリート氏、それに会う人毎に、”私が演奏会を開くよう勧めている青年です”と僕を紹介していました」と書いています。
1829年8月に行われたウィーンでのショパンのコンサートのプログラム
*1829年8月11日、ヴュルフェルが指揮するオーケストラをバックに、ショパンは『ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ変奏曲』や、ポーランド民謡に基づく即興曲を演奏し、ウィーンデビューを果たしました。さらに、ヴュルフェルはショパンのために、ウィーンでの2回目の演奏会のお膳立てもしてくれました。また、ウィーンからショパンが帰国する際にはたくさんの紹介状を書いて、プラハとドレスデンでも音楽会を開くようにと、取り計らってくれました。このプラハへの紹介状にはショパンのことを「彼はワルシャワ宮廷、ワルシャワの大衆の寵児です」と書いてありました。