ポーランドの三大偉人といえば、コペルニクス、ショパン、キュリー夫人が挙げられますが、今日は、コペルニクスとショパンの関係についてお話ししましょう。
ニコラウス・コペルニクス(1473 – 1543)はポーランドのトルンという街で生まれました。トルン旧市街にある彼の生家は「コペルニクス博物館」として公開されています。
天文学史上最も重要な再発見とされる地動説を唱えた天文学者として知られるコペルニクスですが、他の学問にも秀で、数学者・法学者・医者・占星術師・詩人としても活躍しました。さらに教会においては司祭を、政治の世界では県知事や行政長官を務めていたこともある、多才な人物だったようです。
【ショパンとの関連】
1824年と翌25年の高等中学時代の夏休みに、ショパンは、親友ドミニク・ジェヴァノフスキの実家があったシャファルニアという田舎町で過ごしています。1825年の2度目の滞在中にショパンはトルンにも足を伸ばし、コペルニクスの生家を訪れています。
同年8月、ショパンは親友ヤン・マトゥシンスキ宛に手紙を書き、大天文学者コペルニクスの生家を見学した時の深い感動を綴っています。
ショパンがコペルニクスの生家を訪れた時に、後になって自分が彼と並び称されるほど有名なポーランド人になるとは夢にも思っていなかったでしょうね。
現在コペルニクス博物館になっているところが、生家とされていますが、ショパンの時代にはなぜか他の場所がコペルニクスの生家として公開されていたそうです。
コペルニクスの生家(コペルニクス博物館)